事務職未経験の私が転職するためにかけたスクール費用は80万円だったが

スクール費用が高すぎた

接客業(販売職)の仕事から事務の道への転身を試みたものの、その職場は恐ろしい環境で、わずか半年で辞めることになりました。

これは私が20代の頃の話です。

その後も事務職への転職は難航し、絶望的な状況でした。

パソコンスクールに80万円の費用をかけ、ようやく、採用された会社はまたしてもブラック企業でした。

80万円かけて学んだことは、無駄ではなかったものの(と信じたい)、私にとって納得した結果ではありませんでした。

その後私は、まともな会社で働けるようになったのか!?を語ります。

目次

50万円現金払の英会話スクールから始まった

子どもの頃から私は、「いつか海外で暮らしたい」と漠然と考えていました。そして、20代前半の頃、留学を夢見て英会話スクールに入学しました。

と、いうよりも洗脳されたが正解です。

いつか海外で暮らしたいという夢は実現しないまま、50代の今・・・

気づけば50万円支払っていた

何かの雑誌で留学について調べていた記憶があり、英会話スクールのカウンセリングへ行ったという曖昧な記憶です。

スクール名は「グランダム総合学院」で、ネットで検索すると評判の悪い話が見つかります。

既に倒産しています

女性の営業による洗脳トークで、帰れない雰囲気になりました。納得して契約した覚えはなく、気づけば契約していた感じです。その頃、留学資金で貯めていたお金があったため、その一部を使い払ってしまいました。

英会話スクールは即挫折

高額な学費(50万円)の内訳は、1回の授業60分(だったような・・・)で、100回分だった記憶です。

1クラス5~6人の生徒に対し、先生は1人で、上達しそうにもない授業内容でした。

新宿のセンタービルの教室へ2~3回通い、挫折しました。

アメリカ人と文通からパソコンチャットへ

英会話スクールは諦め、アメリカ人数人と手紙で文通を始めました。

現在では手紙でのやり取りは一般的ではありませんが、紙に書く英語学習は意外と効果的でした

当時の私はパソコンに対して興味も知識もなく、ただ手紙の中で紹介されていた「インターネット」という言葉に興味を持ちました。

そして使い方も全くわからないまま、秋葉原でノートパソコンを購入。たった2GBのハードディスクのパソコンが25万円の時代でした。

1995年8月、Windows 95が発売された時期

あのころは「AOL」というチャットがあり、リアルタイムで海外の人と文字のやり取りができることに感激し、熱中しました。

現在とは異なり、通信は電話回線で高額な支払いが発生しました。

そして「何だかわからないけど、パソコンを使う仕事がしたい」と思うようになりました。

「AOL(America Online)」は、1990年代半ばにアメリカで大流行したインターネットサービスプロバイダーでした。当時、インターネットへの接続はモデムを使用し、ダイヤルアップ接続が主流でした。AOLは、初心者にも使いやすいインターフェースを提供し、チャットやメッセージング、フォーラム、オンラインゲームなどの機能があったことから、多くの人に利用されました。

パソコンクラスに振り替え

そして思い出したのが、英会話スクールで、パソコンのクラスもあることでした。残りの授業をパソコンのクラスに振り替えました。

1クラス60分で、教室には6~8人くらいいた記憶です。先生が一斉に教えるのではなく、生徒は自分のペースでテキスト学習を進め、わからないことがあれば、先生に質問するスタイルでした。

バイクおばさん

高い授業料だよ

と、思っていましたが、支払ってしまった授業料は返ってこないので、通い切りました。

転職活動の結果は失敗

スクール終了後、転職活動しました。

職種で言うと「一般事務」でしたが、アルバイトでもほとんどは書類選考で落ちました。面接までたどりつけても、不採用。

懲りずに今度はDTPスクールで30万円

その後、数名のグラフィックデザインの仕事をしてる人と出会い、Macに興味を持つようになりました。

バイクおばさん

周りの影響を受けやすい・・・

まともなスクールだった

今度は「DTPスクール」に入学。平日は毎日朝から夕方まで授業があり、1か月集中コースで30万円でした。この時期は、学校が終わってからバイトしてました。

パソコンスクールよりまともな授業でした。

スクール終了後に、ガテン系転職情報誌で見つけた求人に応募。ようやく就けた仕事はヤバい雑誌の「広告制作」でした。

バイクおばさん

基本、ヤバい会社にしか雇ってもらえなかった

ガテン系転職情報誌とは、2009年に休刊になった「ガテン」です。名前の通り、ガテン系の求人が載っていました。なぜガテンで仕事探しをしたのかは、他の求人雑誌等では仕事が決まらなかったから、という単純な理由です。それもあり、女性が選ばないような会社に転職しました。

残ったのは30万円で買ったMacのローン

普通じゃない広告制作の会社で働いている時期に、Apple PowerMacintosh G3 (Blue & White)をローンで購入しました。

Windows95のパソコンを持っていたし、安い給料で余裕もないのに、働いていた会社で話題となったという理由で購入してしまった私・・・

バイクおばさん

やっぱ、周りの影響を受けやすい

会社は、過酷な労働環境等が理由で退職し、その後一度もMacを使う仕事には就いていません。

  • 仕事内容:イラストレーターやフォトショップを使った広告制作
  • 給料:手取り18万円
  • 雇用形態:社員
  • 労働時間:200時間は余裕で超えていた/月
  • 社保等一切なし、有給休暇なし、残業代なし、納期で帰れないのは普通

その後も迷走し続けた結果

せっかくDTPスクールへ通った私だったが、その後の転職でスクールで学んだことを活用できる会社で働いたことはありません。

無給の仕事にヤバい総務

新聞広告の求人に、「未経験からプログラマーになれる」と書かれていた仕事に応募し、3ヶ月で退職。そしてヤバい総務の仕事へ。

未経験からプログラマーになれる求人

書けない職歴どうする問題

正直に履歴書に書くと、採用されるわけがない私の職歴、職歴以前に卒業した学校は頭が悪い。

しかし、嘘はかけない。

ではどうしたのかというと、社会保険や雇用保険に加入していなかった会社で、採用担当者が驚くような会社(社名で変な目で見られる)は書きませんでした。社員でさえ雇用保険に加入していない会社ばかりだったため、「フリーター」としてまとめて記載しました。

20代の職歴は、30代以降の転職活動でも同様に記載し、詳細に追及されたことはありません。転職は何度か試みましたが、最近の経歴について尋ねられることが一般的で、年齢を重ねるにつれて過去の職歴についてはあまり問われなくなりました。

ヤバい会社からの脱出

未経験からプログラマーになれる仕事というのは、社長が私よりも若い20代前半の台湾で生まれ育った日本人で、お金にシビア。人材営業にまわされ無給でした。貯金が底をつき辞めました。

次のヤバい総務は時給1,000円で、社長が会社にホームレスのように住んでいる会社でした。社長が、「売れないレースクイーンの会社」もやっていて、意味の分からない仕事もしていたが、自由に仕事ができて精神的には楽でした。

社長は会社のすぐそばにお高そうなマンションがあるにもかかわらず、会社の片隅にパーテンションで区切って住み着いていた。パーテーションを時々のぞいていましたが、ゴミの山。

しかし、長くいてはいけない会社だと誰でも思うわけで、私は常に求人情報をチェックしていました。それと同時に、履歴書に書ける簡単な資格を取得することを検討し、MOS(当時はMOUS)を受験しました。

ちなみにこの会社の社名を履歴書に「事業内容:Webコンテンツ制作」として記載しました。

バイクおばさん

間違ってはいない

ヤバい会社は約1年働き、私は運よくまともな会社で働くことができ、気が付いたら社内SEの仕事に就いていました。

まとめ

高額なスクール等の勧誘にあった場合は、その場で契約するのは絶対にやめた方が良いです。実際に自分が勧誘された立場では、会社等の密室で長時間説明を受けると洗脳されてしまうので、拒絶は難しいのも事実。

このような勧誘にひっかからないようにするには、街で声をかけられた場合はついて行かない。自分で調べていく場合は、よく調べることも重要だし、知り合いに相談した方が良いと思います。

異業種の転職は年齢に関係なく大変だった経験をした私ですが、お金をそれほどかけずに取得できる資格で事務職への転職も可能です。

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