いつのころからだろうか。Google検索で自分が知りたいことを調べようとすると、上位には似たようなタイトルがずらっと並んでいます。
内容も非常に似ていて、どっちがどれだけ内容を網羅しているかの競い合いのような状況。
この特徴は、特に「お金が稼げる」分野に多くみられます。最近はもっとひどくなっていて、あらゆる分野でこの現象が起こっていると感じます。
このような現象は、私が職業訓練でWebマーケティングを学んでなるほどと思うことでした。私は上記に書いたような記事を転職活動用で書いたことがありますが、自分でもつまらない記事だなという仕上がりでした。
本当に知りたいことが知れないネット検索
例えば、というより私の過去のことでもあります。
- 転職回数が異常に多すぎ
- 短期間でやめている
このような人が、転職で成功したいと考え、ネット検索します。
それ無理じゃない?転職回数少なくて、それなりの仕事をしてきた人向けだよね?
という記事が上位に表示されるわけだ。なんの参考にもならないです。
体験談も参考にならないことが多い
では「体験談」とキーワードを入れて検索すると?それらしき記事が見つかるが、結局内容は転職サイトへの誘導だったりする。要はアフィリエイトだ。
おすすめしている転職サイトや派遣会社など、その記事を作成した人がランキングすることも可能だ。
結果的に、本当に困っている状況の人が、役立つ情報を得るのが非常に難しい。
人間味あるリアルな情報はどこに?
リアルな情報はヤフー知恵袋や無料ブログで見つかることがあります。しかし、Webマーケティングで習ったことには、ヤフー知恵袋での検索内容も盛り込んだり、参考にするように推奨されました。
結局どこにあるんだろうというと、無料ブログで稼ぐことに意識を向けていないブログに書かれていることがあります。それらの情報は、ネット検索だと見つからないことが多いです。ではどうやって見つけたの?というと、例えばアメブロのアプリでみつけ、一度読むと似たような記事がおすすめされます。ほかの無料ブログも似ています。
そのブログ記事うざくない?のわけ
私は型どおりの導入文は、読み飛ばすことが多いです。
記事の初めに書かれる文章を「導入文」と言いますが、文字数、ターゲット読者、そして書き手の立場など、いくつかのポイントがあります。
しかし、読者として多くの記事を見ていると、無駄に文字数を埋めているだけの導入文が多いと感じます。自分もそのようなことをしたことがあります。そのため、私は導入文を飛ばして読むことがよくあります。
また、記事の執筆者が導入文内で自己紹介をする場合もありますが、私のように偉くない人がそれをすると、「実力もないのに自慢しているかわいそうな人」と思われるでしょう。書かない方がよっぽどマシ、と思った結果、私は書きません。ただし、アフリエイト等で審査を受ける場合は、記載しておいた方がよいと感じました。
ブログ書いた人が存在しない記事
きれいに仕上がっている記事でも、どこかしっくりこないことがあります。その原因は、まるでその記事を書いた人が存在しないような状態にあるからです。
それを魅力と感じる人や、役立つと思う人もいるかもしれません。しかし、私にとっては全く参考になりません。
読者としてだけでなく、自分が記事を書くときにも競合調査として多くの記事を読みます。その中で、「それはないよな」と思うのは、現在その立場ではない者や、その立場になったことがない者の記事です。
例えば、私は子どもがいない立場でそのことを記事にしようと考えたことがあります。そこでネット検索した結果、子供がいる人の視点から「子供がいない孤独」について書かれている記事が複数みつかりました。例え過去にそのような状況があった人であっても、共感されるのは難しいし、逆に反感を買う可能性があるのでは?と思いました。結局、このようなネット記事を読み、私はこのジャンルについての記事を書くのはやめました。
最後に
このブログは、閉鎖予定だったドメインを使っています。もともとは、バイクブログで、今は仕事関連の記事をメインに自由気ままに書こう、という考えではじめました。
しかし、気づけば型にはまった面白くない記事ばかり書いていました。
ブログを始めた当初は、自分の書きたいように自由に書いていました。(このブログではない)その後、Webマーケティングを勉強し、その手法に従って記事をリライトしたこともあります。しかし、数年後に読み返すと、型にはめた記事よりも、過去に自由に書いた記事の方が人間味があると感じることが多いです。たとえ文章がめちゃくちゃでも、そちらの方が魅力的に思えます。
誰かの評価ばかり気にすると、全く面白くない記事ができあがってしまいます。ただし、独りよがりの日記を書くのも違うと思います。ネットで公開する記事を書くのは本当に難しいと感じます。